涼宮ハルヒの消失


石原立也総監督、2010年2月公開


遂に劇場版が公開されましたなー!!
早速休日を利用してキャナルまで観にいきましたよ。
キャナルでもわりと大きな13番スクリーンでした。
その上、前列3列目に座ったおかげで視界いっぱいスクリーンで
なかなかド迫力で楽しめましたよ。


ちょっと脱線しますが、
俺は映画を観るときわりと前の方の席を好んで座る。
というのも自分の視界に他人の頭が入り込むのが嫌いなのだ。
なぜかというとごく稀に、鬱陶しく動く人がいるから。
映画の世界に入り込んでいる時に、そういうのが気になりだすと
集中力が途切れてしまうので…
映画館って暗くなって、それでいて大勢で観ているはずなのに
その物語の中で没頭できる仕組みが上手にできあがっているのである。
だからこそ、その没頭を妨げられる行為に合うと損した気分になるので
視界いっぱいの画面と映画にのめりこみたいのである。
だからこそわりと前列が好きなのです。
ただ、4列目くらいから観終わった後、凄く疲れるけどね!


と自分の映画館でのポジショニングについて脱線しておきました。
で、中身ねw
原作をもう随分前に読んでいたので
いい具合に俺の頭の中ら内容は消失というか忘却していました。
正直にこんなややこしい展開だったけ?と思いながら観ていた。
時間を行ったり来たりする展開は、多くの物語でよく観るが
よくよく考えると辻褄が合わないことも多々ある。
なので往々にして作者の意図している解釈にこちらもあわせていくしかない。
何年か前までは、そういうのが凄く気になったりもしたもので…
最近はこういう類の物語の時、明らかな矛盾がない限りは、
もうすんなりと受け入れて楽しめるくらいにはなった。
要するに
そんな高さから飛び降りて無事なわけないじゃん!
みたいなフィクション特有の現象に
一々つっこまないレベルで考えられるようになったということである。


というわけで
相変わらずキャラのたちまくった4人組と
それを上手に料理してくれるキョン
超絶独白モノローグによる相変わらずの進行で、
アニメになれた人ならば何の違和感もなく
この映画に順応し、楽しむことができる仕組みが出来上がっていたと思うわけである。
そして長門の微妙な感情の機微、恋心的なところにドキドキしてしまうのであるw


ただ、この映画は完全にアニメの延長であるわけで
始めてこの作品を観たのがこの映画だったとしたら
半分も理解できないまま終わるであろう。
ただ、そんな新規様を当てにはせず、既存のファンをターゲットにしても
充分にやっていけるほどに、ハルヒという文化が世間にできてるのも間違いないなと。
つまりこういったアニメの劇場版は
ある程度その作品そのものの価値を保証するものでもあるなとも思った。


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とりあえず
エンドロール後のラストシーンについての個人的な解釈
(以下軽くネタばれ)










少年と少女を自分自身に重ねてしまい、ユキが図らずも自分の感情に驚いている。


ってところでしょうか?